大祖国戦争スターリングラード攻防戦 ドイツ軍はリガキエフ

ドイツ軍は、リガ、キエフ、ミンスクを優先的に制圧して完全に補給や輸送体制を確立してから、レニングラード、モスクワ、スターリングラドを攻め込めばソビエトを占領できたか。理容師大塚萌:「ドイツ軍は、リガ、キエフ、ミンスクを優先的に制圧して完全に補給や輸送体制を確立してから、レニングラード、モスクワ、スターリングラドを攻め込めばソビエトを占領できたか リガからレニングラード、ミンスクからモスクワ キエフからボルゴグラードをせめる 」

エディター片山大輝:「1941年のドイツ軍に関して言えば、Ⅲ号戦車、Ⅳ号戦車が、「T-34/76戦車」に決定的に劣っていたという不利があります。この不利は、補給に問題がなくても変わりません。またソ連軍にはジューコフ元帥だの、カツコフ大佐だのといったドイツ軍以上に優秀な戦車指揮官、司令官がいました。日ソ中立条約のため、極東ソ連軍は温存されていました。アメリカ軍の武器、レンドリースは、アラスカ~シベリア経由でも送ることが可能です。実際、ソ連軍は多数のアメリカ戦車を使っていました。スターリンは、首都をイルクーツクや、ハバロフスクに移して抗戦することも可能です。国民党の蒋介石が重慶に首都を移したようにです。こうなると、ソ連を降伏させることはやはり至難の業と言えます。」

ダンサー村上舞:「独ソ戦。年月。独ソ不可侵条約を破棄したドイツが突如。ソ連に侵攻。第二次世界大戦が拡大し。ドイツ軍は北部ではモスクワやレニングラード。南部ではコーカサスに」

照明スタッフ山田桃子:「独軍の対ソ進撃は、リガ、キエフ、ミンスクというソ連西部の主要都市を制圧して、徐々に長大化する自軍の補給線を確保しながらロシアのハートランドの主要都市を攻め落とす”進撃速度”と”補給の限界線”との戦いでした。独軍の敗因要素として冬将軍による寒冷化と春の泥濘化は有名ですが、そもそも補給線が伸び切っていました。当時の独軍は米英と戦いながらフランスを占領統治し、さらにソ連にも進撃していたので東方へ補給線を伸ばす余力が手一杯だったのです。そこで、リガ、キエフ、ミンスクで腰を据えた占領政策など始めれば、さらなる東方への進撃は当面諦める事になります。それは米英からとソ連からの反撃を間違いなく招き……まあ現実にもそうなっているわけですが……周囲から袋叩きの構図になるのを避ける意図で東進を優先したのでしょう。タラレバと後から論じるのは簡単ですが、ソ連を攻め進むのにリガ、キエフ、ミンスクというソ連西部の大都市を攻めずに済ますのはアイデアとしては存在してもその先にまで補給線を通したいなら絶対無理でしょうし、攻めればモスクワへの進撃速度は低下します。とにかくソ連首脳部が逃げ出すでしょうが1日も早くモスクワを攻め落として東部戦線の主力戦力を西方へ転戦させたかったのでしょうね。」
土地家屋調査士樋口香織:「キエフの占領を優先して、つまり補給体制の確保を優先して、モスクワ占領に失敗したという評価が現実にあることを知っていての質問なのでしょうか?」
トレーサー山崎誠:「独軍の高級幹部は独ソ戦に勝てないと思っていたのにヒットラーの自信過剰が戦争に駆り立てました。当時独軍には、ソ連の広さと旺盛な戦意と同時縦横作戦を操るソ軍に打ち勝つのは不可能だったのです。」
ギタリスト太田麻衣:「T34/76戦車が主砲口径と装甲厚以外のほぼ全てで「Ⅲ号戦車、Ⅳ号戦車」に決定的に劣っていたという有利やレンドリースが届いたのはモスクワ戦の頃にようやくごく一部程度だった、と言う今さらな常識は置いておくとして、「リガ、キエフ、ミンスクを優先的に制圧して完全に補給や輸送体制を確立」なんて事をやっていたら確実に冬が来てしまい、ソ連側もモスクワ方面の防御態勢を固めてしまいます。初年の独ソ戦におけるドイツの圧勝は電撃的な侵攻あっての物なので、じっくり補給を待っていたら余計に不利になりますよ。春になるといよいよレンドリースもまともに届きますし各地のソ連軍がモスクワに集結、ソ連お得意の防御陣地もガチガチに固めてしまうでしょうから勝算は無くなるでしょう。」

管理業務主任者増田優子:「大祖国戦争スターリングラード攻防戦。,ドイツ軍はバルバロッサ作戦に則って,ソ連に侵攻した。これは,中央軍集団によるモスクワ方面への中央突破,ソ連軍撃滅を企図した作戦だった。しかし,」

テーブルコーディネーター松原久美子:「史実ではそうなっています。そしてレニングラード、モスクワ、スターリングラードの3都市いずれも占領できませんでした。実際には、バルバロッサ作戦ではこのうち2つに目標を絞るべきでしたね。キエフ制圧後は、南方ではそれ以上の前進をあきらめて第1装甲集団はモスクワ攻略に差し向け、一方で北方ではレニングラード占領まで第4装甲集団は北部においておくべきでした。もっとも、WW2の最終的結果は変わりませんが。ドイツが勝とうと思ったら、モスクワ攻略のタイフーン作戦発起以前に、わざと戦略的後退を演じ、日本にもはやドイツの勝ちはないと思わせて、対米宣戦を断念させるべきだったでしょう。そして日本がハルノートを受け入れ、その代償として対ソ作戦にフリーハンドをアメリカから得て後、東西からソ連を攻めるのです。アメリカが共産ソ連を助けるために自分から参戦することはあり得ません。」

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*